自分の死に際の選び方

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福岡大病院救命救急センター(福岡市)は25日、呼吸不全で入院した
60代の男性患者について、回復の見込みがなく死期が差し迫った時点で
家族の希望を受け、人工心肺装置を止めて延命治療を中止したケースが
昨年あったことを明らかにしました。

この男性は家族立ち会いの下、13分後に死亡が確認された。

 福岡大病院の医療チームの対応は、平成19年10月に策定された
延命治療の中止手続きを明記した日本救急医学会の終末期医療に関する
ガイドライン(指針)を適用しておこなわれましたが、このような患者の生命に
直結する治療の中止が明らかになったのは初めてだそうです。

 今回の担当医は

「延命治療を中止すると殺人罪などに問われる恐れがある。
国は医師が刑事責任を問われないよう法整備を急いでほしい」

と話しているそうですが、このような問題は以前にイタリアでも
おおきな問題となりました。

イタリアでは、交通事故で植物人間になった子供が、生前
そのような状態になってまで生きていたくないないと語っていたことから
両親は、生命維持装置を外すよう手続きをとったのですが
中絶などを認めないキリスト教の人々が、それは殺人であると
抗議をしたことがあります。
(ニュースでみただけなので、間違ったところがあるかもしれません)

ただ、以前の脳死を死として認めるかどうかの議論もありましたが
僕は、本人のそのような状態で生きていたくはないと望むのならば
生きることも出来ない状態になった時、尊厳死を選ぶ権利は
あるのではないかと思うのです。

誤解を恐れずに言えば、延命治療で何ヶ月が命を延ばすことに
そもそも意味があるのかと思うのです。

家族は、その間、懸命な看護をしています。

しかし、看護する方もかなりの負担を強いられますし、
ほぼ元気になる見込みのない人の看護を何ヶ月も
続けていくというのは、とてつもなく辛いことです。

宗教的な考え方や理想論だけでは現実は
生きていけるわけではありません。

死に際くらい、迷惑をかけずにキレイに死にたいという
本人の思いをまったく無視するのは違うのではないでしょうか。

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